どうして結婚しようと思ったの?

2016年に入籍をした私達。当時は二人とも24才で世間で見ると少し早い方だった。

夫と一番初めに出会ったのは小学校の入学式。同じクラスになったのが本当の初めまして。小さい時の記憶なのでほぼ覚えてはいないけど夫は背が小さめで私が大きかったので背の順に並ぶと一番前の子とほぼ後ろの子だったように思う。特別仲良くもなく、2年生以降のクラス替えで同じクラスになることもなく顔見知り程度で中学に上がり、そのまま卒業し高校は別になった。

それから数年経ち18才頃に共通の友達を会して再開。

初めは友達数人で集まって遊んでいたのが、段々と二人の時間が増えそのまま今に至る。

私たち世代でいう「告る」という行為はお互い明確にはないままここまできた。こういうのは多分珍しいんだろうな。

入籍をしてから未婚の友達に「なんで結婚したの?どうやって決めたの?」とよく質問される。

結婚を決めるきっかけは色々あった。でも理由となるとただ一つでいつも私は「結婚しなくても一緒にいたいと思えたから」と答えている。結婚する前の期間(どちらも関係を明確にしていないので、お付き合いとは言い難い)もちろん喧嘩もめいいっぱいしたし、連絡を全くとらない期間もあったし、なんなら私は別の男の人と付き合っている時もあった。(夫と関係を明確にしていないので、浮気とは言い難い。)

でもどんなに弊害や問題があっても最後には「この人と離れたくない。この人以外と生活をするのは嫌だ」と思うようになり、私は夫以外の男の人を見ることをやめた。

「生涯、誰か一人と一緒にいるならこの人がいい。この人に支えられ、支えていきたい、たとえ夫婦という関係にならなくても。」そう思えたからだと、質問してきた友達にいうと決まって「ふーん」という納得しがたいと言うような感想が返ってくる。でもそれ以外答えようがないので仕方ない。

じゃあきっかけは?というと、結婚をする2年前、2年間ほど夫はネパールに住んでいた。

連絡は十分ではないけどメッセージをやりとりしていた。それほど寂しい思いはしなかった。ただ猛烈に会いたくなる時があり、彼を追いかけて2ヶ月ほどネパールに滞在もした。

私が彼に会いに行って、帰国した2ヶ月後の4月、彼はネパールで震災にあった。少し前まで自分が滞在していた土地。彼が住んでいた家にはヒビが入り、世界遺産がほぼ全壊する規模の地震だった。日本で大々的にニュースにはならず、夫とは連絡もとれず、不安な日々が続いた。

その時に、このままこの人が死んでしまっても、私には連絡はこない。結婚しないと知るきっかけがないんだ。と気づき初めてそこで「結婚」を考えた。

その後彼は帰国し、仕事を始めた。たまに会えた時に、夜に別々の家に帰るのが嫌になり私は親に「同棲したい」と申し出た。親の返事はNG。「同棲するなら入籍しなさい」そう言われたので、「わかりました」と二つ返事でその2週間後に入籍した。記念日や特別なプロポーズもへったくれもない。ただの作業かのように、夜仕事終わりに私が一人で市役所の夜間窓口に婚姻届を提出した。私はすぐに夫が一人暮らししていたマンションに転がり込んだ。荷物はほぼなし。必要最低限の1Kでの暮らし。

それから、また色々あり今では田舎で妊婦をしている。

色々の話はまた別の記事で。

結婚しなくてもいいと思ってた人と結婚をして、一緒に暮らし、家族を増やそうとしている。人生というものは本当に思っている通りにはならないなと痛感する。

春には子供が生まれるし、夫はあと1年で地域おこし協力隊の任期を終えでフリーランスになる。また新しい生活の章が始まるのだ。

あのまま、結婚しなければ。

ネパールで震災がなければ。

親が同棲を許していれば。

色々な分岐点で違う選択をしていれば叶わなかった今の暮らし。

大変なことももちろんあったしこれからもあるのだろうけど、それなりに面白おかしくやっている。私たちの選択は間違えていない(はず)

これからも楽しみだ。

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黄英
黄英です。2018年に都会から田舎へ移住をして、夫と二人で暮らしています。現在第一子妊娠中で春に生まれる予定です。
特にオシャレでもない、でもなんだか懐かしく感じるような生活を紹介できたらと思いブログをはじめました。改造したオシャレ古民家でもないし、手間暇かけた丁寧な食卓も出てきませんが、1日の終わりに今日もステキだったなと思える生活を心がけています。
どうぞよろしくお願いいたします。
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