私が住む山間部は例年ならこの時期は雪が積もる。

しかし、去年と今年は暖冬のようで積もったとしても5センチくらい。それも一晩で溶けきってしまう。ずっと住んでる地元の人達は
「雪かきもせんでいいし、洗濯物は乾くし、道路の凍結は少なくて事故せんでいいし降らん方がええんよ。」
と口を揃えていうけど、その言い方や表情はどこか寂しそうな気もする。
この日も私は、妊娠後期の体重増加に怯えながら散歩をした。
後期に入ると赤ちゃんの成長がさらに早くなり糖を求めるため、母体はすごく甘いものが欲しくなることが多いんだという。例にも漏れず私もその一人で、気づけば1日にドーナツ2つ、みかん3個を平気で食べていたりする。そりゃ、体重も増えるだろう・・・。
今日は晴れてもいたし、さほど寒くもなかったので散り散りに残った雪を目にしながら30分きっちり歩いた。
歩きながら、田舎暮らしを始めた人がよく口にする「自然で四季を感じられることが嬉しい」という言葉を思い出した。確かに、私もそう思っている一人なんだけれど、なら都会で暮らしている時何をきっかけに四季を感じていただろうと考えてみた。
私の場合、電車の広告だったかもしれない。
通勤時の電車の中や街にはあらゆるポスターや掲示板が所狭しにある。春夏秋冬に合わせてファッションセールが行われるし、イベントのポスターには桜や紅葉の写真がデカデカと載っていた。そういうのを見ると「ああもうお花見の時期か」「え、クリスマスのイベント早くない?!」ともうすぐ来る季節の変わりを知れた。
ただ、それは目だけの情報でしかない。これがきっと人間の体に無意識の虚しさを植え付けるのだろう。
田舎では、四季を五感で感じる。雪が降りそうな時は一気に気温が下がるし、溶けて草の香りがしてこれば春の気配を感じる。夏は虫の声が一日中鳴り止まないし、秋は空気が澄んできて木々の染まり具合が一日ずつ違うことに気づくことができる。こういう、微妙な変化が人には多分必要なんだと私は思う。都会では、コロコロと色んなものが変化していくのについていけない部分があった。じんわりと、染みるように何かが変わりそれにまたじんわりと自分が寄り添っていけるのが心地いいんだな。
と、いうことを考えていたらあっという間に30分すぎた。
帰り道に商店の前を通ったら、地元の旅館や家庭の人たちが使っている昔ながらの醤油が目に入った。ちょう醤油を切らしていたことを思い出したので、購入。
「これ、本当にどんな料理も美味しくなるよ。お豆腐にかけるだけで美味しいんだから」
と、地元の奥さま方が教えてくれていたので前から存在は知っていたのだが、中々買う機会がないままだった。移住してきて2年でやっと買えた。

一升瓶入りの醤油を赤子のように抱いて持って帰ってきた。
落とすと割れるというプレッシャーがすごい。
さて、今日はこれを使ってカボチャを炊こう。きっと美味しくなるんだろうな。